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わたしのブログ

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続きです。

これは皆、命令で、昭和19年の10月待つくらいだと思われる。きれいに直ったとのことで496隊に帰った、秋も深まってきた頃戦況も変わり五病棟も変わった。
 患者の動きも毎週のように前送が続いて元気なものは原隊復帰命令がどんどん出て送り出されていった。十二月になった。そろそろ私の名前が出るような気配がしてきた。今は太ってぴんぴん、血沈も2、3ミリくらいで体重も五十五キロになっている。19年もくれようとしているのに前送復帰命令に私の名前は無い。毎日ごろごろ寝ているだけだ。
 診断のとき軍医に聞いてみた。軍医の名前は福島軍医中尉である.軍医いわく「片山、お前はまだ駄目だ。もっと超えて帰れ。」と言うだけだ。毎日同じで全然相手にしてくれない。そばにいる兵長がにやりとするだけである。
 正月になった。例の兵長が来て「今日の点呼の後、事務室に来い、夜間もってな。」笑いながら帰っていった。言われたとおりに自゛務ショにいったらもう看護婦はいない。兵長一人だった。「着たか。まぁ、暖まっていけよ.」と夜間を受け取り「実はなぁ。これもっていけヤァ。」と夜間に酒を入れてくれた。「看護婦に見つかるなょ。あいつ等はうるさいからな。ははは」兵長は半分酔っていた。
「おおきによろしい。一つ軍人は尻尾を出さぬを本文とすべ氏、全てこれでやればよい。」一升くらい入っているようだ。ペチカに当って色々話をしていたら「よいものを見せてやろう。」と私の病症日誌を見せてくれた。
 右の者、昭和19年4月河南作戦において軍務精啓であったが疲労極に達す、ゆえに入院を命ず、早期原隊復帰を期す可無く諸官の尽力被下度く陸軍中尉松村何々と・・・・。
 中尉の名前は覚えていない。昭和19年6月3日と書いてあった。ありがたい中尉の依頼書である。中尉の温情に改めて感謝した。
 兵長が「中支の藩野野戦病院に入ったんだな。普通は班長の申告で体調が認めればの話だ。班長の申告梨で中隊長直下の命令なんだ・・・立派なもんだ。 各病院が割りに親切だったろう。こんな入院はちょっと珍しいぞ。だけど、糖分退院も出来ぬぞ。」と言った。「今度の診察のとき軍医に聞いてみろ、ハッキリするだろう。」
 私はこれは何かあるだろうと思った。もう消灯の時間だ。もらった酒を持って帰った。部屋長のところで小さい声で消灯の後、「看護婦に見つからないように」と言ってやかんを渡した。「酒じゃないか。これはこれは浴してくれるな。有難う、ニコラン、ニコラン、病院で酒が飲めるとはフフフ。」あの喜ぶ顔は面白かった。周りの上等兵も呑めたらしい。私の立場がまま済ますよくなってきた。


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